朝の靄(もや)が杉木立を包み、尾根の土塁(どるい)が静かに影を落とす。足元には竪堀(たてぼり)の鋭い切れ込み――400年前の“戦(いくさ)の設計図”が、山肌にそのまま残っている。
ここは太閤ヶ平(たいこうがなる)一帯。総大将・羽柴(豊臣)秀吉の本陣近くに、弟・羽柴秀長(ひでなが)の「陣跡(じんあと)」が比定される場所だ。
現地に立てば、史料の文字が立体となって立ち上がる。
羽柴秀長「本陣跡」とは何か(定義・位置)
秀長の“本陣跡”と呼ばれる地点は、厳密には「秀長の陣所(じんしょ)」、すなわち短期築造の山城=陣城(じんじろ)である。総大将・秀吉の本陣は太閤ヶ平(本陣山)山頂に置かれ、秀長はその近接尾根に配された。
一次・公的報告では、両者は別個の陣城として整理されている。
本陣山=太閤ヶ平と秀長陣の距離関係
太閤ヶ平の山頂(秀吉本陣)から北西側へ尾根を辿った大平(おおだいら)山頂周辺が、秀長陣の比定地。現地案内・踏査記録では「本陣から約500m前後」とされる例があり、視界と連絡の“近接・並列配置”が意図されたことがうかがえる。
大平山頂周辺の遺構(曲輪・竪堀・虎口)
比定地周辺には、曲輪(くるわ:平場)・土塁・竪堀(尾根伝いの横移動を断つ堀)・虎口(こぐち:出入口の防御構造)が認められる。これらは単なる野営地ではなく、短期間であっても“機能する城”として設計された証拠だ。
鳥取城攻めの作戦配置(一次資料準拠)
鳥取城攻め(天正9年=1581年)は、兵糧遮断の長囲(ちょうい)を主軸に、毛利方の来援を想定した「二正面の備え」を重ねた作戦だった。
その要件を満たすため、秀吉は尾根筋に陣城群を連ね、情報と機動を確保した。
本陣=陣城1、秀長陣=陣城9(調査報告の整理)
公的な調査研究年報では、太閤ヶ平の秀吉本陣を「陣城1」、秀長の陣所を「陣城9」として区分整理。番号の付与は位置関係と機能を可視化し、指揮・連絡・防御の多層構造を示している。
長囲と援軍警戒の二正面作戦
力攻めは損耗が大きい。秀吉は、①補給路の遮断=長囲、②毛利本隊来援への迎撃態勢――この二つを同時に満たす配置を選択。秀長の陣は、本陣を守る“防御の梁(はり)”であり、必要なら“跳ね橋(はねばし)”として出撃点にもなる位置取りだった。
現地の見どころと歩き方(安全情報含む)
山上の陣跡は“機能”を意識して歩くと劇的に見え方が変わる。地形の「使い方」を感じ取ろう。
尾根道・傾斜・所要時間目安
尾根道は細く急斜面もある。整備道はあるが山歩きに準ずる装備(トレッキングシューズ、手袋、雨具)が基本。太閤ヶ平一帯を周回・観察するだけでも、休憩込みで概ね1〜2時間を見込むと無理がない。
観察のポイント:土塁・堀の“機能”を見る
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竪堀:横移動を断ち、侵入速度を落とす「遅延装置」。
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土塁:弓・鉄砲の射手を守る「遮蔽(しゃへい)」と視線制御。
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虎口:敵の動線を折り曲げ、側面から攻撃できる「殺到防止」。
“なぜここに、どの向きで、どの深さであるのか”を考えると、指揮官の思考が立ち上がる。
異説と注意点(「伝」表記・比定の幅)
表記の揺れと史料の読み方
現地表示や記事には「羽柴秀長本陣跡」とする表現もあるが、一次・公的報告では「秀吉=本陣」「秀長=陣所」と区分されるのが基本。
記事化の際は“伝承名”と“研究上の用語”を併記し、読者に誤解を与えない配慮が望ましい。
他地域の“秀長本陣跡”伝承との比較
備中高松城水攻めなど各地に秀長ゆかりの“本陣跡”伝承がある。遺構の残存度や文献裏づけには濃淡があり、現地表示は尊重しつつも、公的報告や一次史料の照合で裏取りするのが筋だ。
学びのまとめ(ビジネスへの応用)
要点の復習
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秀長陣は本陣“直近・並列”の配置で、視界と連絡の確度を高めた。
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陣跡の竪堀・土塁・虎口は、時間を稼ぎ、攻防の主導権を握るための“機能設計”だった。
現代への翻訳(実務のヒント)
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指令塔と実行部隊を“視界内”に置く
離れすぎれば連絡が鈍り、近すぎれば一撃で共倒れする。プロジェクトでは、意思決定拠点(本陣)と実装拠点(副陣)を“近接・並列・相互補完”に設計し、連絡経路を一本化する。 -
リスクは“分節”して遅延させる
竪堀の発想は、問題の横滑りを断ち、致命傷を避けること。工程にレビューゲート、ロールバック手順、監視閾値(いきち)を設け、「小さく遅らせて大崩れを防ぐ」運用を徹底する。
今日からのチェックリスト
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設計する:自分のチーム図に“本陣—副陣—通信線”を書き込み、誰が何分で誰に連絡するかを明文化する。
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分節する:タスクを小間切れにし、各段で止められる“虎口”を用意する。完璧より、まず一つの“見える仕切り”から。
迷ったら、尾根に刻まれた竪堀を思い出そう。歴史は「やってみよう」と小さく背中を押してくれる。
FAQ
Q1:秀長の“本陣跡”はどこ?
A:太閤ヶ平(秀吉本陣)北西の大平山頂周辺に比定。本陣から約500m前後と紹介される例があり、曲輪・土塁・竪堀が確認できる。
Q2:どのくらいの装備が必要?
A:登山に準ずる装備が基本。細い尾根や急斜面があるため、滑りにくい靴・手袋・雨具・飲料を携行し、無理のない計画で。
Q3:“本当に本陣だったの?”の答え
A:厳密には「秀吉=本陣」「秀長=陣所」。公的報告でも別の陣城として整理されている。
Q4:秀長の他のゆかりの地は?
A:大和郡山城(奈良)が居城として著名。鳥取と合わせて巡ると、武将・政務家としての秀長像が立体化する。
Sources(タイトル&リンク)
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鳥取市教育委員会『鳥取城調査研究年報』:太閤ヶ平と周辺陣城の整理(陣城1=秀吉本陣、陣城9=羽柴秀長陣所)[公的資料・PDF]
https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach_mobile/57/57271/74931_1_%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%9F%8E%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%B9%B4%E5%A0%B1.pdf -
太閤ヶ平(概要と包囲戦の要点整理)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%96%A4%E3%83%B6%E5%B9%B3 -
城郭放浪記「因幡・羽柴秀長陣」(現況写真と遺構説明)
https://www.hb.pei.jp/shiro/inaba/tottori-hashiba-hidenaga-jin/ -
お城巡り「因幡國 大平 羽柴秀長陣所」(本陣山との距離・配置解説)
https://oshiromeguri.web.fc2.com/inaba-kuni/hidenagajin/hidenagajin.html -
攻城団フォト「(伝)羽柴秀長陣跡の竪堀」(現地表記の実例)
https://kojodan.jp/castle/78/photo/23426.html -
参考:郡山城(奈良)基礎情報(秀長の居城)
https://charihoi.com/koriyama-jo/
注意・免責
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本記事は一次・公的資料、ならびに信頼できる踏査記録を要約し、最新の公開情報に基づいて執筆しています。ただし山域の遺構は自然侵食や整備で状況が変わり得ます。訪問時は現地案内および行政の最新情報を優先し、安全対策(装備・天候確認・時間配分)を徹底してください。
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比定地・用語には諸説があり、現地では「伝(でん)」表記が用いられる場合があります。学術上の用語区分(本陣/陣所)と現地表示の双方を確認し、誤解のない読み解きをお願いします。
次に読むなら:
鳥取城の兵糧攻めとは?期間・戦術・吉川経家を史料で解説
中国攻めで台頭した羽柴秀吉|毛利攻め総指揮の全過程
最後に――尾根の風は今も同じ道を渡る。土塁と竪堀に耳を澄ませ、そこに刻まれた合理と人の営みの温(ぬく)さを、誰かと分かち合ってほしい。
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