一次史料で読み解く坂本龍馬「船中八策」の真相

帆船の船室内に置かれた机と巻物。 0001-坂本龍馬

海は鉛色に沈み、蒸気船の甲板に潮(しお)の匂いが濃く漂う。京坂へ向かう船中、坂本龍馬は「いまこの国を動かす“八つの筋”がある」と切り出す——。

のちに「船中八策(せんちゅうはっさく)」と呼ばれる構想の情景は、私たちの胸を熱くする。

しかし同時代の原本は見つからず、伝承と史実の境界は揺らいでいる。

本稿は、一次史料として現存する「新政府綱領八策」を軸に、物語と証拠を切り分けて読み解く。


船中八策とは何か(伝承と要点)

船上で龍馬が口述し、海援隊士・長岡謙吉が書き留めた——それが「船中八策」という通説的な“物語”である。

要点は、
①政権返上(大政奉還)
②議会政治
③行政機構の近代化
④外交・条約の再設計⑤国家の大典(たいでん・憲法)制定
⑥海陸軍整備
⑦親兵(しんぺい)創設
⑧金銀比価の是正と通商是正

という新国家の青写真だと語られてきた。物語としての力は強いが、同時代の原本・写本は確認されておらず、史料学的には「伝承」と位置づけるのが妥当である。

八つの施策の概要(平易な言い換え)

  • 権力の受け渡し:武力倒幕ではなく、政権を返上して内乱を避ける。

  • 合議制の政治:上・下の議政所(ぎせいしょ)を置き、諸侯・有能な人材が議決に関わる。

  • 官僚制の整備:有名無実の役職を廃し、実務機関へ再編。

  • 外交と法の枠組み:条約・外交判断を合議し、国家の基本法(大典)を策定。

  • 軍事の近代化:海軍・陸軍を常備化し、治安部隊=親兵を整える。

  • 通貨・通商の安定:金銀相場の歪みを是正し、物価安定と国際取引を正常化。


現存史料「新政府綱領八策」を読む

実際に現存し、確認できる一次史料は「新政府綱領八策」である。慶応3(1867)年、龍馬名で掲げられた八項目は、のちの明治新政府の制度骨格と響き合う提案群だ。

ここでは“伝承の八策”と重なる核を、史料の言葉に即して噛みくだく。

八策の原文ポイント(上下議政所・親兵ほか)

  • 人材・諸侯の活用:能力本位の登用を明示。藩格より実務を重視。

  • 上下議政所:二院的な合議体で政策を審議・決定。独断を避け、手続を整える。

  • 海陸軍局と親兵:軍令と軍政の分掌を意識しつつ、都の治安と政体護持のための親兵を設置。

  • 大典(憲法)制定:国家の基本原則を明文化し、統治の予見可能性を高める。

  • 金銀・物価の均衡:金銀比価の是正、為替・関税の整備を通じ、交易の安定を図る。

要するに、「権力移行の手続」「合議による統治」「軍事・財政・外交の近代化」を、短い条文でパッケージ化したのが「新政府綱領八策」だ。


薩土盟約から大政奉還へ(時系列)

幕末政局は、武力倒幕を志向する薩摩と、内戦回避を重んじる土佐の思惑が交錯した。

慶応3(1867)年6月、薩摩と土佐は「薩土盟約(さつどめいやく)」を結び、新体制の原則で歩調を合わせる。秋には、土佐が将軍・徳川慶喜に政権返上を促す案をまとめ、朝廷への建白へと動いた。

建白書提出と勅許の流れ

  • 10月上旬:土佐藩が「大政奉還(たいせいほうかん)」を建白。

  • 10月14日(新暦11月9日):慶喜が二条城で大政を奉還。

  • 10月15日:朝廷が勅許(ちょっきょ)。
    この“手続の階段”を上る文脈のなかで、「新政府綱領八策」の制度設計は、政権返上後の統治を混乱なく始動させるための“先回り”の設計図となった。


船中八策はフィクションか(論争の整理)

「船中八策」は胸躍る物語である一方、史料学の検証では留保が付く。ここでは論争点を整理する。

史料不在の問題/研究書の主張

  • 同時代原本の未確認:口述筆記の原本・当時写本は見つかっていない。

  • 後年の創作説:坂崎紫瀾の叙述など、明治以降の語りが“船上起草”像を強化した可能性。

  • 中核のアイデアは史料で確認可能:「新政府綱領八策」に八つの施策が明記されており、制度案そのものは龍馬の思索圏にあったと考えられる。

記念館展示の位置づけ

  • 教育・普及の文脈では「船中八策が原形」と紹介されることがある。

  • 研究・史料の文脈では、一次史料としては「新政府綱領八策」を拠り所にする、というスタンスが主流。
    展示の物語性と、研究の厳密さ——両者の“距離感”を意識して読み分けたい。


まとめと実務に活かす学び

「船中八策」の船上シーンは、変革の気迫をいまに伝える。

だが、私たちが学ぶべき核心は、物語と証拠を分け、移行後を先回り設計する冷静さだ。薩土盟約から大政奉還、そして「新政府綱領八策」へ——内戦を避けつつ体制移行を実現したのは、制度・人事・軍事・財政を“短く明確な原則”として提示する技であった。

ここから学べる実務の示唆

  1. “物語”と“根拠”を分離して扱う
    魅力的な逸話は動機を与えるが、意思決定は検証可能な根拠で行う。
    ビジネスなら“創業ストーリー”と“KPI・議事録”を同じスライドに混ぜない。資料の章頭に【伝承】【一次史料】【推定】のラベルを置けば、議論は驚くほどクリアになる。

  2. “先回り設計”で移行コストを下げる
    決定の前に、目的・権限・組織・資金・執行部門・監視評価・移行計画・リスク対応
    ——あなたの“八策”を箇条書きにして共有しよう。合意形成の速度も品質も上がる。

今日から試せるチェックリスト

  • 分けて記す:プレゼンや社内文書で、逸話・仮説・事実の区別を明示する。

  • 先に骨組み:方針決定の前に“八策”ふうの1枚要約を作り、関係者とすり合わせる。
    小さな一歩で、組織の混乱は確実に減る。歴史は遠い話ではない。あなたの次の会議から、龍馬の“先回り設計”を使ってみよう。

 

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