いろは丸事件の真相:坂本龍馬の交渉術と賠償金の実像

幕末期の木造帆船が海に浮かぶ情景。 0001-坂本龍馬

瀬戸内海の闇に汽笛が割れ、1867年5月26日(慶応3年4月23日)の夜、小型蒸気船「いろは丸」は紀州藩(きしゅうはん)の大型蒸気船「明光丸(めいこうまる)」と衝突した。

沈みゆく船から航海日誌を抱えて上がった男——坂本龍馬。

彼はすでに、談判(だんぱん)という次の戦場を見据えていた。

以下では、物語としての臨場感と、一次史料・研究成果にもとづく検証を両立させながら、全体像を整理する。


いろは丸事件の経緯と衝突地点

夜の潮が早い鞆の浦(とものうら)沖。黒々とした島影の間を滑る二隻の蒸気船が交錯し、鈍い衝撃音とともに甲板が傾ぐ。乗組員の叫び、灯の揺れ、沈降の気配。

龍馬は「証拠を押さえろ」と命じ、航海日誌や積荷の控えを確保した。

史実整理

  • 日時:1867年5月26日夜(慶応3年4月23日)

  • 場所:備後国・鞆の浦沖(瀬戸内の“潮待ち”の要衝)

  • 結果:「いろは丸」沈没、「明光丸」生存。以後、過失責任と補償をめぐる交渉へ。

鞆の浦と長崎での談判の流れ

シーン:福禅寺対潮楼(ふくぜんじたいちょうろう)の座敷。障子越しの海光を背に、紀州側の役人と海援隊が対座する。

龍馬は落ち着いた声で、「万国公法(ばんこくこうほう)に則って裁断すべし」と切り出す。

史実整理

  • 第一会場:鞆の浦 … 福禅寺対潮楼や町家(桝屋清右衛門宅など)で初期談判。

  • 第二会場:長崎 … 聖福寺(しょうふくじ)などに移し、土佐藩の後藤象二郎(ごとう しょうじろう)が介入。さらに薩摩の五代友厚(ごだい ともあつ)が仲裁色を帯びて登場。

  • 戦術:現地世論の喚起(花街に歌を流行らせる等)、公法を掲げる“場づくり”、同盟の側面支援を多層に組み合わせた。

対潮楼・聖福寺など談判の現場

迎賓の間としても知られる対潮楼は、海図がそのまま額縁になるような眺望。聖福寺の静けさは緊張の中にも“公式性”を帯び、交渉の空気を整えた。

龍馬は「場所」を味方につけることで、相手に“公的・国際的な判断”を想起させた

万国公法と世論戦の使い方

シーン:長崎の会所(かいしょ)。龍馬は航海日誌の突き合わせを求め、運航・見張り・回避動作の記録を細かく検証する。「ここは万国公法で判断する——それが互いの名誉を守る近道ぜよ」。

史実整理

  • 法理戦:航海日誌や応接筆記を根拠に、明光丸側の過失(見張り・針路・速度等)を主張。

  • 世論戦:うわさや端唄(はうた)を利用して“紀州に非あり”の空気を醸成。

  • 同盟戦:土佐・薩摩の政治バランスを背後に配し、示談・斡旋(あっせん)を加速。

明光丸の過失主張と反論点

龍馬側は「避航義務を怠った」「合図・見張りが不十分」などを主張。一方で、いろは丸側の操船・航路取りに問題を示唆する見解も後世にあり、厳密な法廷裁判ではなく“示談的解決”である点が論争点として残る(諸説あり)。

後藤象二郎・五代友厚の役割

後藤は土佐政局の後ろ盾として政治的圧力の可視化を担い、五代は当事者間の仲裁と落とし所の設計に貢献した。交渉当事者を“個”から“藩”の次元へ引き上げることで、決着の地平を広げた。

賠償金83,526両→7万両の内訳

シーン:帳場に並ぶ反古紙(ほごがみ)と算用。海援隊は船価・積荷・逸失利益を合算し、当初は「83,526両198文」を請求。折衝の末、「7万両」で妥結したと伝わる(数字・日付は史料により異同)。支払は1867年11月7日、長崎とする編年もある。

  • 請求内訳(要旨):船体・機関部、積荷(銃器等の主張を含む)、運休に伴う損失など。

  • 妥結への流れ提示額→減額→示談。政治バランス・世論・国際常識の象徴(万国公法)がクッションとなり、顔を立てつつ実質的な金銭移転に至った。

現代貨幣換算の注意点

換算には幅があるが、観光・資料館等でしばしば用いられる1両=3万〜5万円を仮置きすると、

  • 7万両 ≒ 21〜35億円

  • 83,526両 ≒ 約25.1〜41.8億円
    となる。※消費者物価や銀含有量、労賃指数など換算法で結果は大きく変わるため、目安にとどめるのが妥当。

2006年調査と異説・論争点

シーン:青い海底を泳ぐライト。調査員が船影をなぞる。
水中文献・調査の示唆:2006年の引き揚げ・潜水調査では、大量の銃器や弾薬を示す決定的遺物は確認されず、「積荷の一部は交渉上の誇張(はったり)だった可能性」も指摘された。

論争点の整理

  • 責任帰属:明光丸側の過失強調に対し、いろは丸側の操船・見張りの瑕疵を論じる見解も。

  • 手続の性格:厳密な“国際法廷”ではなく、藩同士の示談政治的仲裁の性格が濃い。

  • 史料のばらつき請求額・妥結額・支払日に複数系統あり。一次史料(往復文書・日誌)と後年の編纂を区別して読む必要がある。

仕事に活きる交渉の教訓

1)“土俵設計”が勝敗を左右する
龍馬は法の言語(万国公法)×場所(対潮楼→長崎)×世論(歌・噂)×同盟(後藤・五代)を束ね、自分に有利な評価軸を先に示した。
現代の価格・納期・品質交渉でも、評価指標を先にテーブル化し、第三者データで空気を整え、社内外の推進役を確保すれば、結果の大半はその時点で決まっていく。

2)物語とファクトを分離して運用する
主張を通す物語(ストーリー)は必要だが、証拠保全(ログ・議事録・日誌)は別レイヤーで淡々と積む。交渉が長期化しても、検証可能な事実があなたを守る。
龍馬がまず航海日誌を確保したのは、その最も実務的な一手だった。

 

よくある質問(FAQ)

Q:談判はどこで行われた?
A:鞆の浦の福禅寺対潮楼などで初動、のちに長崎・聖福寺などで本格化。

Q:賠償はいくらで、いつ支払われた?
A:当初請求は83,526両198文、妥結は7万両とする系統が有力。1867年11月7日長崎支払の年表もあるが、諸説あり。

Q:本当に銃器は積んでいたの?
A:2006年の調査では決定的証拠は未確認。交渉上の誇張の可能性が指摘される。

Q:万国公法はどの程度効いたの?
A:厳密裁判というより、“国際常識”の象徴として相手の心理・世論に作用したと評価される。

参考文献・史料

  • 広島県観光「いろは丸展示館(鞆の浦)」:事件概要・展示解説

  • 福山市公式「福禅寺対潮楼」:談判の場の沿革・案内

  • 長崎の寺社案内「聖福寺」:談判会場としての伝承

  • 神戸大学関係資料・研究ノート「いろは丸事件と鞆・坂本龍馬」:年表・文書参照

  • 京都先端科学大学等の研究・論考:交渉過程の復元、世論戦の分析

  • 鞆の浦ローカル史料サイト「鞆と龍馬といろは丸」:請求額・2006年調査の記述

  • 一般向けまとめ(書籍・歴史サイト各種):請求→減額→支払の流れ整理
    ※上記は一次・準一次(自治体・資料館・学術)を優先し、通説と異説の両系統を対照。


注意・免責

  • 本記事は一次史料・自治体・資料館・研究論文を付き合わせ、相違点(額・日付・会場)を明示しました。異説が併存するため、最終数字や細部は出典により変動します。

  • 現代貨幣換算は手法により幅が大きく、本文の数値は目安です。学術的比較には、銀価格・賃金指数など複合指標による再計算を推奨します。

 

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